俳句の未来―短詩としての俳句

石寒太
シンガポール国立大学での講演       
 
俳句は、五・七・五の十七音の定型、そしてその中に季語(季節のことば)を入れ、一句で独立して完成する。これが基本常識である。確かにその通りであるが、それだけを頑なに守ってゆくだけでいいのだろうか?

ニューヨーク・スイス・スリランカ・中国・台湾など、数少ない私の海外吟行の経験からしても、もう少し考えをひろげて行く必要がある、そう思いはじめている。いま、世界各国では、このところHAIKU愛好者が急激に増えつつある。母国語で短詩を作り、それを俳句と呼んでいるのである。「毎日俳句大賞」は、今年で十九回、来年は二十回の節目を迎えるが、この「国際の部」には世界の五十六か国からの人々の俳句が二千五百句、一般の部・子供の部の三部門を合わせると二万六千句以上の応募がある。

いま、世界は短い詩を求めている。英語・フランス語・ドイツ語圏の小学校では、HAIKUと称して短詩が教科書に掲載されている。そのように児童の世界にも短詩ブームともいう波が押し寄せているのだ。世の中はいま、目まぐるしく瞬時に刻々と変化しつつ、多彩しかも複雑で不透明な時代を迎えている。そんな時代に悠長に長く丁寧に細かく相手に自分の気持ちを伝える時代ではないようである。

むかしから日本には以心伝心、言わずかたらず、寸鉄人を刺す、などの諺(寸言)があるように、最短のことばで相手に自分の意志を伝えることが、時機に適しているのだ。その点から俳句はもっとも時代にフィットしている。まさに時代の文学である。

俳句の歴史をたどるまでもなく、この世界最短詩形は今日的文学であると言える。すべてを語ることなく、相手(読者)に大部分をゆだね想像(イメージ)させるのである。そこが俳句の大きな特徴である。俳句は日本で生まれ、育まれ広がってきた日本独自の文学である。それは疑いもない事実である。が、いまや俳句は世界のHAIKUに羽ばたきつつある。これもまた現状でもある。そんな中で従来の季語や定型・切れ字感覚だけにとどまっていていいのだろうか? 
そうだとしたら俳句は一歩も前に進まないではなのか? 
定型から短詩へ、季語から新しい季感感覚へ、切れ字から時代を踏まえたリズム感へ、それらの道を切り拓いてゆくこともまた大切ではないのか? この頃私の俳句観も少しずつ変化している。

  象の糞ふみつづ灼熱の国へ(スリランカ)
  喰うて街自転車に囲まれる  (中国)
  レマン湖を泳ぐ太陽直(ひた)と率(ひ)き(スイス)
     セントラルパーク蠛蠔(まくなぎ・目纏いという虫)走者来る        (二ューヨーク)
  ストローの二本椰子の実売の正午(台湾)

これらの句は、先の旅先でつくった私の貧しい俳句である。当然、秀句ではないが、その国の歴史なり風俗・人間が少しは出ているのではないか、そう思っている。俳句の技術のうまい下手を越えて、人間本来の野生を詠んでみようという試み、その喜びがどこかに感じられたとしたら、それだけで新しい俳句に挑戦できたと思っている。

さて、日本は文明が進みお蔭で大変に生活には便利になったと思っているが、代わりにかなり大切なものを喪なって来たのではないか? いくつかあるがそのひとつが自然であり、風土・習慣である。珠の如く守ってきた美の世界「季語」、この便利なことばにあまりにも頼りすぎたために、自己を封じ込め日本的情緒のなかだけに溺れて、逆にひとつの型の中に閉じこもってしまってはいないだろうか?

確かに俳句はこのところ隆盛を極めてきた。でも、手軽に日本的な情趣のなかだけで安易に俳句をつくりすぎてはいなかっただろうか? もっと今までの俳句では手も足も出なかった異質の風土、たとえば灼熱の砂漠地帯、または厳寒のツンドラ地方などに身を置いてぶちあたってみることも、また必要かもしれない。そうすることによって俳句は安穏とした眠りから目覚めて、まったく新しい世界が開けてくるかもしれないと思うのだ。その時には季語よりももっと広がった世界共通の詩語(ホエムワード)が、万国共通のことばとして、定型の俳句の中の核となって立ち現われてくる。そんな気が、この頃私の頭のなかにしきりに広がってくる。

For more of Mr.Ishi Kanta's work please visit: http://www.enkan.jp/

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