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加藤廣士 紹介 
           
加藤廣士は1949年東京生まれ。 1971年慶応義塾大学文学部美学美術史学科卒業。卒業論文のテーマは、<ギリシャ悲劇の歌舞伎への影響>。ギリシャ悲劇の傑作エウリピデスの<ヒッポリュトス>が、インド、中国を経由して、人形浄瑠璃、歌舞伎の名作 <摂州合邦辻>に到達したかを検証した。この<ヒッポリュトス>はフランス古典劇の最高傑作、ジャン・ラシーヌの<フェードル>の原作としても有名である。また、それを翻案・映画化したメリナ・メルクーリ主演の<フェードル>は、日本でも<死んでもいい>の題名でヒットした。
           
加藤は、大学卒業後、出版社光文社に入社、書籍販売部に所属した。1973年、父・加藤二朗の創業した品川ダイカスト工業に転じ、以後35年にわたって、人事、経理、営業の部門を担当した。最後は品川ダイカスト工業社長として職責をまっとうした。この間、自動車部品の下請け加工業の悲哀を嫌というほど味わった。そのことが、画廊経営を始める大きな動機となった。2012年8月にシンガポール・ラッフルズホテルに念願の画廊を開業した。開業はしたものの、経営を軌道に乗せるには2年以上の年月を必要とした。戦後、日本の抽象絵画、とくに山田正亮、山口長男、オノサトトシノブの3人を中心に据え、そこに画廊独自に発掘した新人を配置することで、画廊の方針が固まった。

加藤廣士は四つの顔を持っている。一つは、ビジネスマンの顔である。二つ目は、画廊主・アートディレクターとしての顔である。三つ目は、俳句を作る詩人としての顔である。加藤が敬愛する作家・辻井喬は実業家であり、詩人であった。加藤の狙いは、少しでも辻井喬に近づくことであろう。四つ目の顔は、四柱推命の研究家としての顔である。40年に及ぶ研究と企業経営への応用から、加藤独自の成果が得られたと聞く。近い将来、四柱推命のブログも立ち上げる計画もあるそうだ。画廊独自のアーティストを発掘するに際して、四柱推命を活用したいと加藤は意気込んでいる。
           
今回は、俳句詩人として、抒情俳句のブログを加藤は立ち上げる。彼の作品を、英語と中国語に翻訳して、背景説明も付けて、世界の多くの俳句愛好家にアピールするつもりと聞く。

まだ未熟な部分も多かろうが、この試みを応援したい。

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